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見捨てられた 本物の 令嬢は 車椅子の 御曹司に 溺愛される

Language: ja

物心つく前に山奥の寒村に捨てられた氷室家の真の令嬢である私は、ある日突然、帝都の本邸へと呼び戻された。 しかし私を待っていたのは、偽物の令嬢である養女と、彼女を溺愛する家族からの冷酷な仕打ちだった。 兄は私を「教養のない野良猫」と罵って空港に置き去りにし、母は私が氷室家の体面を汚すと嫌悪した。 養女は健気な妹を演じながら、裏で私の居場所を奪おうと毒牙を剥く。 さらに彼女たちは、養女の厄介払いとして、南雲家の耳も聞こえず口もきけない車椅子の「廃嫡」に、私を身代わりとして嫁がせようと企んでいた。 「あんな粗野な娘、大財閥の残骸の介護をして暗がりで朽ち果てるのがお似合いよ」 山奥で育った無知な田舎娘なら、抵抗すらできずに絶望すると思ったのだろう。 だが彼女たちは知らない。 私が裏社会すら平伏す伝統医学のトップであることも。 彼女たちがゴミのように押し付けようとするその「不具の御曹司」が、すでに私に狂気的な執着を向けている帝都の真の支配者であることも。 「盤面を動かしているつもりでしょうけれど……嵌まるのはどちらかしらね」 私は袖口の銀針をなぞりながら、冷ややかに微笑んだ。

Available chapters

  1. Chapter 1
  2. Chapter 2
  3. Chapter 3

Chapter 1

「まだ見つからないのか。たかが田舎から出てくる小娘一人に、どれだけ待たせる気だ」
成田空港のVIP到着口。氷室冬真はネクタイを乱暴に緩め、秘書を睨みつけた。
「申し訳ありません、冬真坊ちゃん。到着から三十分以上……晴美お嬢様らしきお姿は、まだ確認できておりません」
「あの馬鹿女が。初日から氷室家の名を汚す気か」
冬真は手にしていたプラスチックのネームプレートを、ロビーチェアに叩きつけた。
硬質な破片が乾いた音を立てて飛び散り、行き交う客が足を止める。
「おそらく、生まれて初めて山を出て、空港の広さに迷われてしまったのでは……」
「知るか。迎えの車を回せ。ド田舎の野良猫にかまっている暇は、俺には一秒もない」
革靴の音を鳴らして、冬真は出口へ消えた。
氷室家の長男である冬真にとって、物心つく前に山奥へ預けられた実の妹など、厄介者以外の何物でもなかった。
一時間後。帝都の一等地に建つ氷室邸のリビングで、冬真は上着をソファに投げ捨てた。
「会えるわけがないだろう。影も形もなかった。約束の時間すら守れない、教養のかけらもない女だ」
上座に座っていた母の三田光恵が、ボーンチャイナのカップをソーサーに置いた。
音が、妙に硬かった。
「だから言ったのです。あんな田舎育ちの娘を引き取るなど、氷室家の体面を汚すだけだと」
「お母様、そんなに怒らないでください」
白いレースのドレスを着た養女・国井莉歌代が、光恵の背後に回って肩を揉みはじめる。
「晴美お姉ちゃんはずっと山奥で不自由な生活をしていたのですもの。帝都の礼儀作法を知らなくても無理はありません。これからは私が——妹だった私が、一から教えてあげますから」
健気な妹の声に、光恵は眉間の皺を緩めた。
「莉歌代、あなたは本当に優しい子ね。あの野良娘など、あなたの爪の垢を煎じて飲ませても追いつきませんよ」
莉歌代は伏し目がちに微笑んだ。
光恵から見えない位置で、口角を冷たく吊り上げながら。
爪を掌の肉に食い込ませ、彼女は心の中で吐き捨てた。
(本物の血筋が何よ。この家の令嬢の座は、誰にも渡さないわ)
「警備と警察に連絡を入れておけ。野垂れ死んで氷室家の名を晒すような真似だけはさせるな」
冬真がソファに体を預けて言い放つと、光恵も忌々しそうに頷いた。
豪奢なリビングが、まだ見ぬ本物の令嬢への悪意で満ちていく。
——同じ頃。
六本木の雑居ビル最上階。完全会員制クラブ「夜叉」の最奥、外界の音を遮断したプライベートルーム。
黒いトレンチコートを着た屈強な男——晴美の部下・桐生涼平が、銀色のアタッシュケースをローテーブルに置いた。
「総会長、ご注文の品をお持ちいたしました」
ソファの中央に深く身を沈めていた氷室晴美は、組んでいた脚をゆっくりと解いた。
漆黒のウェーブヘアが肩で揺れ、黒曜石のような瞳がケースへ向けられる。
——山奥の粗野な田舎娘。
世間の噂とは、まるで違う女だった。
晴美は身を乗り出し、右手親指の付け根にある薄いタコで、ダイヤルロックをなぞった。
カチリ、と澄んだ音。
蓋が跳ね上がり、特殊な保冷剤の真ん中に、青白い冷気を放つ野生雪蓮が横たわっていた。
氷点下の冷気が室内の空気に触れ、白い霧が立ち上る。
晴美は雪蓮の一片をつまみ、鼻先へ近づけた。
ツンと純度の高い香りが鼻腔を刺す。
唇がわずかに弧を描き、左の頬に深いえくぼが浮かんだ。
「いい生薬ね。養母の身体の調律に使うわ。代金はスイスの口座へ送金しておいた」
「承知いたしました」
「しばらく、統括協会の連中には派手な動きを慎むよう伝えて」
「かしこまりました、総会長」
涼平は九十度に腰を折った。裏社会の人間すら恐れるこの男が、目の前の少女には絶対の忠誠を抱いている。
晴美はポケットから和三盆の小袋を取り出し、白い粉を舌の上に滑らせた。
上品な甘みが広がるのを感じながら、無造作にケースを閉じる。
「それから——帝都大学医学部への編入は?」
「片岡総長自ら、極秘裏に手配を完了させております。身元が外部に漏れることはございません」
「結構よ」
晴美は立ち上がると、涼平から受け取った無制限限度額のブラックカードを、色褪せたジーンズのポケットへ突っ込んだ。
そして国宝級の生薬が入ったままのアタッシュケースを、使い古したボロボロの帆布バッグへ押し込んだ。
涼平の口元が、引きつった。
「では、氷室家へ向かうわ」
毛足の長い絨毯を踏みしめながら、晴美は廊下へ足を踏み出した。
「物心つく前に山へ捨てておいて、今さら呼び戻す。この家が私に何をしたいのか、見物させてもらうわ」
出口へ向かっていたその時だった。
前方のVIPルームの扉の隙間から、耳障りな罵声が漏れてきた。
「おい、南雲の聾唖の出来損ない! 酒をかけられても声一つ出せないのかよ?!」
晴美の足が、ピタリと止まった。
墨色の瞳が、薄暗い扉の隙間へと鋭く向けられた。

Chapter 2

半開きの扉の向こうから、紫煙と安っぽい香水が混ざって漂ってきた。
「おいおい、南雲財閥の三男坊様が、借りてきた猫みたいに縮こまってていいのかよ?!」
派手な柄のシルクシャツを着崩した金髪の男が、グラスをテーブルに叩きつけた。
琥珀色の酒が波打ち、飛沫が飛び散る。
視線の先——フロアの中央に、一台の車椅子。
深く腰掛けた南雲光登は、黒いシルクシャツに身を包み、額にかかる黒髪で表情を隠している。
周囲の嘲笑に、一切の反応を示さない。
五年前の豪華客船爆発事故で聴力と言語を失い、一族の権力闘争から脱落した——『南雲の廃嫡』。
「おい、聞こえてないフリすんじゃねえよ!」
小太りの男が、汚れた靴の先で車椅子のタイヤを小突いた。
「五年前に両親と一緒にくたばっておけば、こんな無様な恥を晒さずに済んだのになあ? 言葉も話せねえ、耳も聞こえねえ木偶の坊が!」
男は下卑た笑みを浮かべ、グラスに残った酒を光登の革靴へ、わざと零した。
冷たい液体が黒い革を濡らし、絨毯へ染みていく。
車椅子の肘掛けに置かれた光登の指先が、わずかに動いた。
(……伊東の手回しが遅いな。あと一分、現れなければこの場で全員の首をへし折るか)
光登は廃人を装っている。
両親を謀殺した黒幕を油断させ、一網打尽にするための罠だ。
五感は失われていない。背後の気配も、男たちの筋肉の収縮も、血流の音すら読めている。
光登が無抵抗なのをいいことに、金髪の男はテーブルの灰皿を掴み取った。
水と吸い殻が混ざった汚い液体が、底に溜まっている。
「ほらよ、喉が渇いてんだろ? これを全部飲み干したら、今日のところは勘弁してやるぜ!」
灰皿の縁が、光登の鼻先へ突きつけられた。
小太りの男が光登の髪を掴み、無理やり顔を上げさせようと腕を伸ばした——その瞬間。
ドォンッ!
爆薬が炸裂したかのような轟音が、VIPルームを震わせた。
厚さ数センチのチーク材の扉が蝶番ごと吹き飛び、床の大理石へ激突して砕け散る。
「な、何だ?!」
金髪の男の手から灰皿が滑り落ち、濁った液体がぶちまけられた。
粉塵の向こうから、すらりと伸びた長い脚が、倒れた扉を踏み越えて現れた。
色褪せたジーンズに黒の薄手ジャケット。肩に使い古した帆布バッグ。
——氷室晴美が、冷たい風を纏って部屋へ入ってきた。
「誰だてめえ! ここは俺たちの貸し切りだぞ! どこの田舎娘が入り込んできやがった!」
金髪の男が喚いた。晴美はその声を、完全に無視した。
視線は車椅子の足元へ。
酒に濡れた革靴と、左耳の裏にあるかすかな古傷を、静かに見つめている。
右手の親指が、左手首の内側に仕込んだ銀針のホルダーを、そっとなぞった。
「靴を拭きなさい」
低く、抑揚のない声だった。
その一言が落ちた瞬間、室内の空気が凍りついた。
「はあ?! お前、自分が誰に向かって口を利いてるのか分かってんのか! おい、この生意気なアマを捕まえろ!」
金髪の合図で、小太りの男が下品な笑みを浮かべて突進してくる。
「おいおい、よく見たら上玉じゃねえか。痛い目を見せて——」
太い手が晴美の肩に触れる直前、晴美の体がかすかに揺れた。
次の瞬間、右手が電光石火で伸び、男の手首の関節を正確に捉える。
「ぎっ……?!」
声を上げる暇もなく、手首のスナップを利かせて外側へ捻り上げた。
バキィッ!
骨が不自然な方向へ軋む音が、室内に響いた。
「ギャアアアッ! 腕が、腕がああああっ!」
小太りの男はくの字に折れ曲がり、床を転がって悶絶した。
取り巻きが一斉に息を呑み、金髪の男は顔から血の気を引かせて後ずさる。
車椅子の上で、光登がわずかに顔を上げた。
伏せた睫毛の隙間から覗く黒い瞳が、粉塵の中に立つ少女の横顔を、値踏みするように見つめていた。
(……関節技の初動に無駄がない。迷いのない力の流し方。何者だ?)
晴美は手首を軽く振った。靴の裏のゴミを払い落とすみたいに。
そして残りの男たちへ、冷たい視線を向けた。
「次は誰」

Chapter 3

「ひひぃっ……!」
床を転がる仲間の悲鳴を聞きながら、金髪の男は背中を壁に押し付けた。
「お前ら、何突っ立ってんだ! 酒瓶持ってぶっ殺せ!」
我に返った男二人が、ウイスキーのボトルを掴み取り、晴美の頭めがけて左右から振り下ろした。
重いガラスが空を切る音。
晴美は眉一つ動かなかった。
体を滑らかに沈み込ませる——次の瞬間、二本のボトルは空中で激突した。
ガシャアンッ!
砕けたガラス片と琥珀色の液体が、振り下ろした男たちの顔面へ降り注ぐ。
「目がっ! 顔が切れ——ぎゃあああっ!」
同士討ちした二人が顔を押さえて蹲る。
部屋の隅に隠れていたホステスたちが悲鳴を上げ、ソファの陰に身を縮めた。
晴美は一歩、また一歩と、金髪の男へ間合いを詰めた。
足音が響くたび、男の喉からヒュウヒュウと情けない音が漏れる。
「や、やめろ……俺の親父が誰か知って——」
晴美の右手が伸び、男のシルクシャツの襟首を鷲掴みにした。
予備動作もなく、七十キロ以上ある体を片手で宙へ持ち上げる。
「がはっ……?!」
両足が床から浮き、首を絞められて白目を剥きかける。
暴れる手足は、晴美の腕にすら届かなかった。
男の顔を自分の眼前まで引き寄せ、感情のこもらない瞳で覗き込んだ。
「最後に一度だけ聞くわ。誰が拭くの?」
「わ、わだじが……拭ぎまず! 拭がせでぐだざいっ!」
手を放すと、男は雑巾みたいに床へ叩きつけられた。
咳き込みながら四つん這いになり、光登の車椅子へ這い寄る。
そして自分が着ていた数十万のブランドシャツを脱ぎ捨てると、光登の革靴に付いた酒を、狂ったように擦りはじめた。
「申し訳ありませんでした! 綺麗にしました、綺麗にしましたから!」
光登は視線を微塵も動かさなかった。
足元で震える男など、路傍の小石以下だ。
その代わり、視線は晴美へ注がれていた。
晴美はテーブルから除菌シートを一枚引き抜き、自分の指先を丁寧に拭っている。
汚れたシートを金髪の男の頭の上へ放り投げると、低く言い放った。
「消えなさい」
言葉が終わるか終わらないかのうちに、男は骨折した仲間を置いて転がるように逃げ出した。
残りの男たちも、這うように後を追う。
嵐の去ったVIPルームには、割れたガラスと酒の匂い、そして静寂だけが残った。
晴美はシートをゴミ箱へ蹴り込むと、車椅子の前へ歩み寄った。
そして光登の正面にしゃがみ込み、その顔をじっと見つめた。
至近距離で見る男の顔立ちは、息を呑むほど整っていた。
通った鼻梁、薄い唇、そして怯えているかのように伏せられた黒い瞳。
光登は完璧に『怯える廃嫡の御曹司』を演じ、細い肩をわずかに震わせてみせた。
(こんな綺麗な顔をして、声も出せず耳も聞こえないなんて……南雲家の連中も、よくこんな無防備な人間を放り出しておけるものね)
晴美の胸の奥で、理不尽への苛立ちと、奇妙な庇護欲が首をもたげた。
彼女は小さく息をつくと、車椅子の肘掛けに置かれていた光登の大きな手を、自分の手で包み込んだ。
ビクッと、光登の指先が強張る。
晴美の手のひらは滑らかで、驚くほど温かかった。
指の腹にある針仕事のタコが、光登の肌を優しく刺激する。
誰の体温も受け入れてこなかった男の心臓が、不意に跳ねた。
「大丈夫よ。もう誰も手出しさせないわ」
晴美は光登の手を握り直すと、立ち上がって車椅子のグリップを握った。
「ここを出るわよ。危ないから」
光登は抵抗せず、引かれるままに身を委ねた。
床に散らばるガラスを避け、晴美は手慣れた動作で車椅子を押す。
破壊された扉を抜け、専用エレベーターホールへ向かった。
金属の扉が静かに閉まり、クラブの喧騒が遠ざかる。
密閉された空間の中で、光登はゆっくりと首を傾げ、隣に立つ晴美の横顔を見つめた。
無償の庇護。迷いのない武力。
光登は、初めて心の中で呟いた。
(……面白い)
伏せられた瞳の奥で、殺意に代わる別の炎が、静かに灯りはじめていた。